Mickey社長のBlog
TIMOR LESTE 久しぶりの産地!Promised Land 東ティモール! 4
いよいよマウベシへ!! 東ティモールを訪れる前に『Canta! Timorカンタ・ティモール』という映画を観ました。 これが素晴らしい〜コーヒーに辿り着く前にやはり歴史や背景を知る事は重要です! 首都のディリから日本のODAで建設された1号線を南下しマウベシを目指しました。 坂を登っていくとディリの街が一望出来る...この道のおかげで山間部との流通に大きく寄与している!日本の援助も実感出来ました。 産地は前回訪れたエチオピアと比べれば舗装路(ボコボコ感はありましたが、エチオピアのハンベラ/Gujiへ向かう道は80%は土...首都アディスから12時間の長時間移動)で快適、3時間弱でマウベシまで到着! 標高は1300m程度、ディリは海沿いで8月の暑さは日本並み、しかしマウベシはかなり違う...やはり夜は冷える。体感では10℃程度だったと思います。 番犬?野犬??とニワトリの鳴き声でマウベシの朝は始まります。 今回、マウベシではレボテロ集落のミゲルさんのお宅にお邪魔して2泊3日寝食を共にして収穫と精製のお手伝いをさせて頂きました。家はウマと呼びますが、椰子の木で作った茅葺き屋根で高床式の方に我々は泊まらせて頂き、ミゲルさん達は家族多分15、6人で一つ屋根の下で住んでいます。大家族で子供が多く、子供なのか?親戚なのか?とにかく常に子供が10人くらいは居て賑やか! 食事はコメ、食用のバナナ、サツマイモ、キャッサバ(タピオカの原料の芋)、葉物野菜が毎日毎食+我々の訪問を歓迎して用意してくれた鶏肉… そしてミゲルさんの栽培しているコーヒー!! 出荷出来ないB級品は自分たちで消費する...毎食本当にコーヒーが美味い! エチオピアで体験した生産国の消費状況と似ている。 中米の生産者はそこまでコーヒーを飲んでいなかった... エチオピアはコーヒー発祥の国!さすがだな〜と感動しましたが、東ティモールも日常的にコーヒーを飲む文化〜料理もしめたニワトリの羽を取る時も焙煎も… 全て1つのデカい中華鍋!薪火で豪快に! 収穫したパーチメント(殻)付きのコーヒー豆を取り出して来て先ずは脱穀、焙煎(少し水を入れた鍋で焼く)、そしてグラインド(脱穀と同じ棒とウス)で意外にも『繊細に網を使用して粒子を合わせる』バリスタ的なスキルを見せつけられた... そして極め付けは手縫いの『ネルドリップ』!美味いわけです〜本当にこの一連の作業を見せてもらって体験させてもらい『一杯のコーヒーにかける想い』に感動させられました。 僕もエアロプレスで抽出して彼らに振る舞いましたが... 〜いつものコーヒーの方が美味い!〜惨敗でした(涙) マウベシの夜はもちろん暗い 産地に行くといつも感動させられるのは『星空』 N Zでは毎晩空を見上げて『南十字星』を見上げていたな〜 そして久しぶりに南十字星にマウベシで出会う事が出来た(涙) カンタ・ティモールで観た様に夜焚き火を焚いてティモール人はクラシックギター弾いて皆んなで歌を歌うのが大好き!!踊りも独特でフォークダンス(稲の籾踏みのようなステップ)の様なテベダイというダンスを皆んなで楽しむ! 産地の夜はこうして更けて行きました… 翌日、いよいよ収穫!レボテロのコーヒー畑を皆んなで『完熟豆』のみの収穫を敢行〜 各自カゴをぶら下げて完熟チェリーの摘み取りに励み、歌を歌ったり、子供達が周りではしゃいでいたり、とにかく楽しい収穫が出来ました。...
TIMOR LESTE 久しぶりの産地!Promised Land 東ティモール! 4
いよいよマウベシへ!! 東ティモールを訪れる前に『Canta! Timorカンタ・ティモール』という映画を観ました。 これが素晴らしい〜コーヒーに辿り着く前にやはり歴史や背景を知る事は重要です! 首都のディリから日本のODAで建設された1号線を南下しマウベシを目指しました。 坂を登っていくとディリの街が一望出来る...この道のおかげで山間部との流通に大きく寄与している!日本の援助も実感出来ました。 産地は前回訪れたエチオピアと比べれば舗装路(ボコボコ感はありましたが、エチオピアのハンベラ/Gujiへ向かう道は80%は土...首都アディスから12時間の長時間移動)で快適、3時間弱でマウベシまで到着! 標高は1300m程度、ディリは海沿いで8月の暑さは日本並み、しかしマウベシはかなり違う...やはり夜は冷える。体感では10℃程度だったと思います。 番犬?野犬??とニワトリの鳴き声でマウベシの朝は始まります。 今回、マウベシではレボテロ集落のミゲルさんのお宅にお邪魔して2泊3日寝食を共にして収穫と精製のお手伝いをさせて頂きました。家はウマと呼びますが、椰子の木で作った茅葺き屋根で高床式の方に我々は泊まらせて頂き、ミゲルさん達は家族多分15、6人で一つ屋根の下で住んでいます。大家族で子供が多く、子供なのか?親戚なのか?とにかく常に子供が10人くらいは居て賑やか! 食事はコメ、食用のバナナ、サツマイモ、キャッサバ(タピオカの原料の芋)、葉物野菜が毎日毎食+我々の訪問を歓迎して用意してくれた鶏肉… そしてミゲルさんの栽培しているコーヒー!! 出荷出来ないB級品は自分たちで消費する...毎食本当にコーヒーが美味い! エチオピアで体験した生産国の消費状況と似ている。 中米の生産者はそこまでコーヒーを飲んでいなかった... エチオピアはコーヒー発祥の国!さすがだな〜と感動しましたが、東ティモールも日常的にコーヒーを飲む文化〜料理もしめたニワトリの羽を取る時も焙煎も… 全て1つのデカい中華鍋!薪火で豪快に! 収穫したパーチメント(殻)付きのコーヒー豆を取り出して来て先ずは脱穀、焙煎(少し水を入れた鍋で焼く)、そしてグラインド(脱穀と同じ棒とウス)で意外にも『繊細に網を使用して粒子を合わせる』バリスタ的なスキルを見せつけられた... そして極め付けは手縫いの『ネルドリップ』!美味いわけです〜本当にこの一連の作業を見せてもらって体験させてもらい『一杯のコーヒーにかける想い』に感動させられました。 僕もエアロプレスで抽出して彼らに振る舞いましたが... 〜いつものコーヒーの方が美味い!〜惨敗でした(涙) マウベシの夜はもちろん暗い 産地に行くといつも感動させられるのは『星空』 N Zでは毎晩空を見上げて『南十字星』を見上げていたな〜 そして久しぶりに南十字星にマウベシで出会う事が出来た(涙) カンタ・ティモールで観た様に夜焚き火を焚いてティモール人はクラシックギター弾いて皆んなで歌を歌うのが大好き!!踊りも独特でフォークダンス(稲の籾踏みのようなステップ)の様なテベダイというダンスを皆んなで楽しむ! 産地の夜はこうして更けて行きました… 翌日、いよいよ収穫!レボテロのコーヒー畑を皆んなで『完熟豆』のみの収穫を敢行〜 各自カゴをぶら下げて完熟チェリーの摘み取りに励み、歌を歌ったり、子供達が周りではしゃいでいたり、とにかく楽しい収穫が出来ました。...
TIMOR LESTE 久しぶりの産地!Promised Land 東ティモール3
今回の東ティモールのマウべシを訪れた際に雨季の長雨により『収穫遅れ』を目の当たりにして来ました...店舗でも創業以来初めて欠品を経験しました...。東ティモール好きの常連様には大変ご迷惑をお掛け致しました事お詫び申し上げます。少量ですが第一便(2024ロット/ニュークロップ)が到着して店舗でも全開で販売開始致します〜 気候変動の影響は確実に産地に及んで来ております... 販売再開を機に東ティモールブログを再開!そして語り尽くして行きます〜 『サンタクルズ大虐殺事件』〜これを語らずにはいられない 首都ディリには東ティモールの独立への軌跡上で最も重要な1991年11月12日『サンタクルス大虐殺事件』の惨場であるサンタクルス墓地があります。インドネシア秘密警察に射殺されたセバスチャン・ゴメス氏の死を弔う為に数千人がこの地を訪れ270人以上の方達がインドネシア軍の犠牲になった『サンタクルス大虐殺事件』の犠牲者たちが眠りそして世界を動かしたジャーナリストのマックスさんへの弔いの為にも訪問させて頂きました。 この大虐殺事件をカメラに収め世界中に公表した事で東ティモールの独立は世界から応援され果たす事が出来たました。イギリス人ジャーナリスト:マックス・スタールさんは3年前に他界され、彼が撮ったこの大虐殺の映像で亡くなった若者が正に銃弾に倒れた『その場所』に現在永眠されています...。 その後、首都ディリの街中にある博物館(独立戦争中はインドネシア軍の砲撃を受けて全焼した建物を独立後のシンボルとして再建)を訪れ『独立』への歩みを学びました。 ゲリラ戦時代の隠れ家の再現や初代大統領となった東ティモールゲリラ軍の英雄であり独立運動のフレテリン党首:シャナナ・グスマン氏の名言『TO RESIST IS TO WIN』 *Topの文字は彼の自筆ですよ! この虐殺事件から10年以上経ってようやく独立が叶った... マックス氏の映像が世界に衝撃を与えるまでは世界はアジアの小国の苦境を知る由もなく、日本政府はインドネシアを支援していた事実やアメリカもインドネシアを軍事支援していた事実、そして第二次対戦中、そしてインドネシア統治下でも日本は東ティモールに対して良好な関係ではなかった事を実感させられました...。 独立した今も東ティモールのGNPはティモール海にある(オーストラリアとの間の海域で東ティモールの領域)パユウンダン油ガス田とグレーターサンライズ油ガス田での石油・天然ガスの収入に大きく依存している。ポルトガルの長年の植民地であった東ティモールにはこの油田の魅力があった事に間違いありません... 日本も戦時中は一時攻め入り、その後インドネシアの統治下でもオーストラリアともこの利権争いは激化し、独立後は最終的に東ティモールはオーストラリアとティモール海条約を結び、現在は両者のせめぎ合いも安定化している様です。 東ティモールの将来を考えるとパユウンダン油ガス田の枯渇の懸念は避けられません... 主食であるコメ自体も輸入に頼る現在、コーヒー栽培は年々生産量を増やしていますが、石油・ガス資源に代替えできるほどの成長は見られていないのです。 コメ作に関しても日本のJICAなどが農業支援を行い主食の国産化を進めていますが、なかなかコーヒーと同様石油やガスのレベルには到底追いつけていない状況です。 お世話になったミゲルさんのお家での食事は『米』中心!肉は今回は家畜の鳥を捌いてくれて振る舞って頂きましたが、普段は野菜(自家栽培:レタス系)と芋は必ず(キャッサバとさつまいも)食用バナナ(ほぼイモの味わい)とチリ*辛いのが好きなんですよね〜僕は無理でした(汗)...。 我々に出来る事は『コーヒー』しかありません!
TIMOR LESTE 久しぶりの産地!Promised Land 東ティモール3
今回の東ティモールのマウべシを訪れた際に雨季の長雨により『収穫遅れ』を目の当たりにして来ました...店舗でも創業以来初めて欠品を経験しました...。東ティモール好きの常連様には大変ご迷惑をお掛け致しました事お詫び申し上げます。少量ですが第一便(2024ロット/ニュークロップ)が到着して店舗でも全開で販売開始致します〜 気候変動の影響は確実に産地に及んで来ております... 販売再開を機に東ティモールブログを再開!そして語り尽くして行きます〜 『サンタクルズ大虐殺事件』〜これを語らずにはいられない 首都ディリには東ティモールの独立への軌跡上で最も重要な1991年11月12日『サンタクルス大虐殺事件』の惨場であるサンタクルス墓地があります。インドネシア秘密警察に射殺されたセバスチャン・ゴメス氏の死を弔う為に数千人がこの地を訪れ270人以上の方達がインドネシア軍の犠牲になった『サンタクルス大虐殺事件』の犠牲者たちが眠りそして世界を動かしたジャーナリストのマックスさんへの弔いの為にも訪問させて頂きました。 この大虐殺事件をカメラに収め世界中に公表した事で東ティモールの独立は世界から応援され果たす事が出来たました。イギリス人ジャーナリスト:マックス・スタールさんは3年前に他界され、彼が撮ったこの大虐殺の映像で亡くなった若者が正に銃弾に倒れた『その場所』に現在永眠されています...。 その後、首都ディリの街中にある博物館(独立戦争中はインドネシア軍の砲撃を受けて全焼した建物を独立後のシンボルとして再建)を訪れ『独立』への歩みを学びました。 ゲリラ戦時代の隠れ家の再現や初代大統領となった東ティモールゲリラ軍の英雄であり独立運動のフレテリン党首:シャナナ・グスマン氏の名言『TO RESIST IS TO WIN』 *Topの文字は彼の自筆ですよ! この虐殺事件から10年以上経ってようやく独立が叶った... マックス氏の映像が世界に衝撃を与えるまでは世界はアジアの小国の苦境を知る由もなく、日本政府はインドネシアを支援していた事実やアメリカもインドネシアを軍事支援していた事実、そして第二次対戦中、そしてインドネシア統治下でも日本は東ティモールに対して良好な関係ではなかった事を実感させられました...。 独立した今も東ティモールのGNPはティモール海にある(オーストラリアとの間の海域で東ティモールの領域)パユウンダン油ガス田とグレーターサンライズ油ガス田での石油・天然ガスの収入に大きく依存している。ポルトガルの長年の植民地であった東ティモールにはこの油田の魅力があった事に間違いありません... 日本も戦時中は一時攻め入り、その後インドネシアの統治下でもオーストラリアともこの利権争いは激化し、独立後は最終的に東ティモールはオーストラリアとティモール海条約を結び、現在は両者のせめぎ合いも安定化している様です。 東ティモールの将来を考えるとパユウンダン油ガス田の枯渇の懸念は避けられません... 主食であるコメ自体も輸入に頼る現在、コーヒー栽培は年々生産量を増やしていますが、石油・ガス資源に代替えできるほどの成長は見られていないのです。 コメ作に関しても日本のJICAなどが農業支援を行い主食の国産化を進めていますが、なかなかコーヒーと同様石油やガスのレベルには到底追いつけていない状況です。 お世話になったミゲルさんのお家での食事は『米』中心!肉は今回は家畜の鳥を捌いてくれて振る舞って頂きましたが、普段は野菜(自家栽培:レタス系)と芋は必ず(キャッサバとさつまいも)食用バナナ(ほぼイモの味わい)とチリ*辛いのが好きなんですよね〜僕は無理でした(汗)...。 我々に出来る事は『コーヒー』しかありません!
BENTI NENQA農園/サイト カッピングツアーPart.3
8月東ティモールから帰国後溜まった仕事を片付けて...遂に浅野さんとカッピングツアー開始だ〜 BENTI NENQAについて一言!実は2019年〜METAD社のBENTI NENQAを独占で任せて頂いているのですが、最近METAD社以外にもBENTI NENKAベンチ・ネンカという豆を見かけます。METAD社からは正式名称として『バンティネンカ』と公認を受けており、スペルもNENQAがQである事がMETAD社の証でもありますのでFWCF及びBENTI NENQAブラザー店のコーヒー豆が『バンティネンカ』であり、他社のコーヒー豆がベンチ・ネンカである事を今回改めてお伝えさせて頂きます〜 先ずは東京 ALPHA BETA COFFEE ROASTER(等々力)の佐々木さんにお世話になり、セミナー&カッピングを店舗で実施させて頂きました〜 当日は店舗は休業ではありましたが、セミナー前まで焙煎機を回している佐々木さんにご迷惑にならない程度に色々お話を伺う事が出来ました。 浅野さんのセミナーはエチオピア🇪🇹の現状とMETAD社の JAS認定に代表されるサスティナブルコーヒーの取り組みといよいよ生産者としての道を歩き始めた彼の農園についてなど盛り沢山!参加者の皆さんも興味津々、充実したセミナーとなりました。その後、METAD社の保有する4農園(6種類)のカッピングを実施。 品種は7110、7112と同一で農園(サイト)違いでのテロワールを堪能して頂きました。 GujiとGedeb, GujiでもALAKAは大木に囲まれたマントヒヒの生息する神秘的な森の中で育ったロットとBENTI NENQAは傾斜地で日当たり良好でシェードツリー越しの日照率の高いロットかつGedebとのボーダーエリアに存在するロットのキャラクターの違いを感じられ、GOTITIとCHELLBESAはGedebのイルガチェフェのあるGedeoエリアの南に位置し、BENTI NENQA (Guji)とは山を隔てた隣り合わせの様なロケーションですが、BENTI NENQAからは北へ向かい、イルガチェフェの街を抜けて、なんかして行かなければ辿り着けません。コーヒー産地とはそういう所です。Chelbesaはイルガチェフェから GOTITI行く途中を西へ向かった所に位置しています。 2019年のエチオピア訪問時には立ち寄る事がありませんでした.. 次は山梨/甲府 実は生まれ故郷で(両親が山梨県甲府市出身/僕は山梨生まれ、育ちは千葉の松戸)甲府でのカッピングは何か特別な想いを感じておりました..育っていないが、毎年両親の里帰りで訪れていた場所、NZに行く前に数ヶ月住んで働いた経験のある街、離れて既に25年以上の月日、当時こんな僕でも辛く苦しみもがいていた数ヶ月...NZで違う人生を見つける前の出発地点が『甲府』! 今回会場を準備して頂いたEON(イエン)Coffee Roastersさんは素敵な矢崎さんご夫婦で経営されていて、自家焙煎と手作りの極上スウィーツも手掛けられている新鋭の甲府のロースターさんです。今回、会場には若手のフレッシュなロースターさんを中心に12名の熱意溢れる参加ロースターさん達、当日は予想を超える大雨で悪天候にも関わらず河口湖の方から参加して頂いた方も...浅野さんのセミナーが始まると熱心にメモ取る方ばかり、本当に勉強熱心な方々でセミナー後のカッピングももちろん盛り上がりました〜METADのコーヒー豆の事以外にも同じコーヒー屋の経営者として色々なお話もさせて頂きました。 ...
BENTI NENQA農園/サイト カッピングツアーPart.3
8月東ティモールから帰国後溜まった仕事を片付けて...遂に浅野さんとカッピングツアー開始だ〜 BENTI NENQAについて一言!実は2019年〜METAD社のBENTI NENQAを独占で任せて頂いているのですが、最近METAD社以外にもBENTI NENKAベンチ・ネンカという豆を見かけます。METAD社からは正式名称として『バンティネンカ』と公認を受けており、スペルもNENQAがQである事がMETAD社の証でもありますのでFWCF及びBENTI NENQAブラザー店のコーヒー豆が『バンティネンカ』であり、他社のコーヒー豆がベンチ・ネンカである事を今回改めてお伝えさせて頂きます〜 先ずは東京 ALPHA BETA COFFEE ROASTER(等々力)の佐々木さんにお世話になり、セミナー&カッピングを店舗で実施させて頂きました〜 当日は店舗は休業ではありましたが、セミナー前まで焙煎機を回している佐々木さんにご迷惑にならない程度に色々お話を伺う事が出来ました。 浅野さんのセミナーはエチオピア🇪🇹の現状とMETAD社の JAS認定に代表されるサスティナブルコーヒーの取り組みといよいよ生産者としての道を歩き始めた彼の農園についてなど盛り沢山!参加者の皆さんも興味津々、充実したセミナーとなりました。その後、METAD社の保有する4農園(6種類)のカッピングを実施。 品種は7110、7112と同一で農園(サイト)違いでのテロワールを堪能して頂きました。 GujiとGedeb, GujiでもALAKAは大木に囲まれたマントヒヒの生息する神秘的な森の中で育ったロットとBENTI NENQAは傾斜地で日当たり良好でシェードツリー越しの日照率の高いロットかつGedebとのボーダーエリアに存在するロットのキャラクターの違いを感じられ、GOTITIとCHELLBESAはGedebのイルガチェフェのあるGedeoエリアの南に位置し、BENTI NENQA (Guji)とは山を隔てた隣り合わせの様なロケーションですが、BENTI NENQAからは北へ向かい、イルガチェフェの街を抜けて、なんかして行かなければ辿り着けません。コーヒー産地とはそういう所です。Chelbesaはイルガチェフェから GOTITI行く途中を西へ向かった所に位置しています。 2019年のエチオピア訪問時には立ち寄る事がありませんでした.. 次は山梨/甲府 実は生まれ故郷で(両親が山梨県甲府市出身/僕は山梨生まれ、育ちは千葉の松戸)甲府でのカッピングは何か特別な想いを感じておりました..育っていないが、毎年両親の里帰りで訪れていた場所、NZに行く前に数ヶ月住んで働いた経験のある街、離れて既に25年以上の月日、当時こんな僕でも辛く苦しみもがいていた数ヶ月...NZで違う人生を見つける前の出発地点が『甲府』! 今回会場を準備して頂いたEON(イエン)Coffee Roastersさんは素敵な矢崎さんご夫婦で経営されていて、自家焙煎と手作りの極上スウィーツも手掛けられている新鋭の甲府のロースターさんです。今回、会場には若手のフレッシュなロースターさんを中心に12名の熱意溢れる参加ロースターさん達、当日は予想を超える大雨で悪天候にも関わらず河口湖の方から参加して頂いた方も...浅野さんのセミナーが始まると熱心にメモ取る方ばかり、本当に勉強熱心な方々でセミナー後のカッピングももちろん盛り上がりました〜METADのコーヒー豆の事以外にも同じコーヒー屋の経営者として色々なお話もさせて頂きました。 ...
BENTI NENQA農園/サイト カッピングツアー Part.2
翌年2018年には2つ農園(サイト)が増えました。 BUKUはGujiの北部辺境地、河を越えないと産地に入れないエリアで後に2019年に現地を訪れた時は雨の影響で通行不能... GOTITIはイルガチェフェと同じGedeo県でGedeb(郡)からの初めてのMETAD社製のロットで後に2019年に訪問した際は最新の精製マシーンとドライベッドの規模の大きさに驚かされました。 どちらも素晴らしいティスト!ALAKAも含めてこんなエチオピアのコーヒー豆は今まで味わった事はありませんでした METAD社はアメリカのコーヒー会社Blue Bottle Coffee 、Intelligentsia Coffee , Royal Coffee(商社)や欧州ではデンマークのThe Coffee Collective ,韓国のTERAROSA COFFEE...世界で名高いロースター達が使うクォリティー! こうしてFWCFの扱うエチオピアのコーヒー豆は世界基準豆へと飛躍して行きました。エチオピアのコーヒー豆で当時ここまでトレーサビリティのあるロットは皆無で魅力的でした... 2019年当時METAD社としてはアメリカのIntelligensia のみ供給していたBENTI NENQA農園(サイト)のロットを日本ではFWCFに供給をしてもらう事が決まりました。ちょうど仙台荒井店のオープニングに間に合いBENTI NENQAナチュラル精製で作り上げたシングルオリジンのエスプレッソでサスティナビリティの実現を果たしました。 トレーサビリティ&サスティナビリティ 2019年のBENTI NENQA取り扱い開始時に僕もエチオピアに渡航し、BENTI NENQAはもちろんALAKA/GOTITIなどHambela〜GedebのMETAD運営農園、アディスの本社と新設の巨大な最終出荷工場を訪問し、来年も...とハグして別れた翌年COVIT-19コロナ禍勃発...我々の絆はコロナ禍をもろともせず既に5年間、昨年(2023)はAman/Tariku兄弟と浅野さんがFWCFの三春店(福島県)を訪問して頂きました。 我々の関係はより強固なモノとなりました。 コロナ禍でなかなか出来ていなかったのですが...時計の針がやっと動き出しました。 BENTI...
BENTI NENQA農園/サイト カッピングツアー Part.2
翌年2018年には2つ農園(サイト)が増えました。 BUKUはGujiの北部辺境地、河を越えないと産地に入れないエリアで後に2019年に現地を訪れた時は雨の影響で通行不能... GOTITIはイルガチェフェと同じGedeo県でGedeb(郡)からの初めてのMETAD社製のロットで後に2019年に訪問した際は最新の精製マシーンとドライベッドの規模の大きさに驚かされました。 どちらも素晴らしいティスト!ALAKAも含めてこんなエチオピアのコーヒー豆は今まで味わった事はありませんでした METAD社はアメリカのコーヒー会社Blue Bottle Coffee 、Intelligentsia Coffee , Royal Coffee(商社)や欧州ではデンマークのThe Coffee Collective ,韓国のTERAROSA COFFEE...世界で名高いロースター達が使うクォリティー! こうしてFWCFの扱うエチオピアのコーヒー豆は世界基準豆へと飛躍して行きました。エチオピアのコーヒー豆で当時ここまでトレーサビリティのあるロットは皆無で魅力的でした... 2019年当時METAD社としてはアメリカのIntelligensia のみ供給していたBENTI NENQA農園(サイト)のロットを日本ではFWCFに供給をしてもらう事が決まりました。ちょうど仙台荒井店のオープニングに間に合いBENTI NENQAナチュラル精製で作り上げたシングルオリジンのエスプレッソでサスティナビリティの実現を果たしました。 トレーサビリティ&サスティナビリティ 2019年のBENTI NENQA取り扱い開始時に僕もエチオピアに渡航し、BENTI NENQAはもちろんALAKA/GOTITIなどHambela〜GedebのMETAD運営農園、アディスの本社と新設の巨大な最終出荷工場を訪問し、来年も...とハグして別れた翌年COVIT-19コロナ禍勃発...我々の絆はコロナ禍をもろともせず既に5年間、昨年(2023)はAman/Tariku兄弟と浅野さんがFWCFの三春店(福島県)を訪問して頂きました。 我々の関係はより強固なモノとなりました。 コロナ禍でなかなか出来ていなかったのですが...時計の針がやっと動き出しました。 BENTI...
BENTI NENQA農園/サイト カッピングツアー
2017年、突然泉店に訪れた一人の男性... サスティナブルという言葉はSDGsですっかり定着していますが、『サードウェーブ』と呼ばれ始めたコーヒー第3世代の『根幹』はトレーサビリティ&サスティナビリティ。 この男性こそがMETAD社(エチオピアの農業法人)の伝道師... そう!浅野文章さん(Javier)〜 当時FWCFも店舗は3店舗(泉/ダウンタウン/三春)全てが焙煎機を要する店舗でロースターとして成長(今も発展途上です!)している時期で、スペシャルティコーヒーの理念を追求して新たなコーヒー豆を模索しておりました。 ALAKAという農園(サイト)の豆をサンプルで頂き、翌日だったかその次の日か...何気なくカッピングをしてみると! 『これは!... 』 本当に衝撃的でした。それまでは商社さんから仕入れたECXのG1がほとんどでなかなかトレーサビリティ(生産者が誰で、どんな環境で作られているか?品種や精製所等のディテールが微妙)に欠ける商品しかなく、エチオピアの美味しい味わいはもちろん感じるのですがどうしても生産者が見えてなかった...ECX商品の限界でした。 帰国後スペシャルティコーヒーの世界を教えてくれた師匠と仰ぐ青森のコーヒーカラーズの木村さんに電話して、泉店でお会いした時に紹介しておいたのでどうでしたか??って。木村さんの感想を聞いてみると興奮気味に『凄いね〜』今でも忘れない木村さんの言葉! もちろん僕も共感してALAKAのコーヒー豆の取り扱いを開始しました。 ALAKAはオロミア州のGuji(県)のHambelaハンベラ(郡)というエリアです。 当時はGujiという名前は徐々に知られて来てはいましたが、多くはシダモ、イルガチェフェが市場を占めていたと記憶しています。 実際にはシダモではなくシダマ...2019年にシダマ州の格上げされ、イルガチェフェはエリア(町/村落的)の名前でGedeo県で南部諸民族州、ハンベラのあるGujiはオロミア州と詳しい情報が入ってくる様になったのも浅野さん(METAD社)との取引によってです。 Hambelaハンベラという名前はMETAD社が世界に広げた名前だと言っても過言ではありません。それまで誰も知りませんでしたから... ALAKAはMETAD社の中枢となるウェットミル/ドライミルを完備した森に囲まれ、マントヒヒも生息する大自然の中にある最新鋭で環境問題、周辺の住民達の生活向上(賃金を含めた労働環境)に努めるAman Adnew氏(METAD社オーナー)の『理念』の基づいたコーヒー精製基地なのです。農園は近隣の小農家から形成されていて苗の供給〜農業技術〜コーヒーチェリーの管理と摘み取りに至るまで一貫した管理で『極上のチェリー』を生み出しています。全ての農園(サイト)にその『理念』と『管理システム」を展開しています。
BENTI NENQA農園/サイト カッピングツアー
2017年、突然泉店に訪れた一人の男性... サスティナブルという言葉はSDGsですっかり定着していますが、『サードウェーブ』と呼ばれ始めたコーヒー第3世代の『根幹』はトレーサビリティ&サスティナビリティ。 この男性こそがMETAD社(エチオピアの農業法人)の伝道師... そう!浅野文章さん(Javier)〜 当時FWCFも店舗は3店舗(泉/ダウンタウン/三春)全てが焙煎機を要する店舗でロースターとして成長(今も発展途上です!)している時期で、スペシャルティコーヒーの理念を追求して新たなコーヒー豆を模索しておりました。 ALAKAという農園(サイト)の豆をサンプルで頂き、翌日だったかその次の日か...何気なくカッピングをしてみると! 『これは!... 』 本当に衝撃的でした。それまでは商社さんから仕入れたECXのG1がほとんどでなかなかトレーサビリティ(生産者が誰で、どんな環境で作られているか?品種や精製所等のディテールが微妙)に欠ける商品しかなく、エチオピアの美味しい味わいはもちろん感じるのですがどうしても生産者が見えてなかった...ECX商品の限界でした。 帰国後スペシャルティコーヒーの世界を教えてくれた師匠と仰ぐ青森のコーヒーカラーズの木村さんに電話して、泉店でお会いした時に紹介しておいたのでどうでしたか??って。木村さんの感想を聞いてみると興奮気味に『凄いね〜』今でも忘れない木村さんの言葉! もちろん僕も共感してALAKAのコーヒー豆の取り扱いを開始しました。 ALAKAはオロミア州のGuji(県)のHambelaハンベラ(郡)というエリアです。 当時はGujiという名前は徐々に知られて来てはいましたが、多くはシダモ、イルガチェフェが市場を占めていたと記憶しています。 実際にはシダモではなくシダマ...2019年にシダマ州の格上げされ、イルガチェフェはエリア(町/村落的)の名前でGedeo県で南部諸民族州、ハンベラのあるGujiはオロミア州と詳しい情報が入ってくる様になったのも浅野さん(METAD社)との取引によってです。 Hambelaハンベラという名前はMETAD社が世界に広げた名前だと言っても過言ではありません。それまで誰も知りませんでしたから... ALAKAはMETAD社の中枢となるウェットミル/ドライミルを完備した森に囲まれ、マントヒヒも生息する大自然の中にある最新鋭で環境問題、周辺の住民達の生活向上(賃金を含めた労働環境)に努めるAman Adnew氏(METAD社オーナー)の『理念』の基づいたコーヒー精製基地なのです。農園は近隣の小農家から形成されていて苗の供給〜農業技術〜コーヒーチェリーの管理と摘み取りに至るまで一貫した管理で『極上のチェリー』を生み出しています。全ての農園(サイト)にその『理念』と『管理システム」を展開しています。
TIMOR LESTE 久しぶりの産地!Promised Land 東ティモール2
“世界を救っている”オリジナルのハイブリットティモール自体の味わいは? NZ時代から数えれば15年以上味わって来ている僕が言うので間違いないです〜 東ティモールのコーヒー栽培技術&知識の向上により飛躍的に向上し続けています!!首都ディリには本格的なカフェ(消費)もポピュラー、農園(生産)も毎年栽培に改良を加え日々努力を続けています。 実は2020年、現地訪問は叶いませんでしたがお世話になっているParcicさんの企画でオンラインツアー(LIVE)で産地を体感させて頂く事が出来ました。 初めて見るアイナロ県マウベシのエルダウトゥバ村のLIVE映像が今でも鮮明に蘇ります。 その際に訪れたジョアンさんとは今回の訪問時に再会(現地では初めてですが、始めましての感覚は僕にはなかったです笑)出来た事は感動でした... やっと叶った〜念願の東ティモールTimor Leste! 東ティモールはインドネシアから2002年に独立を果たしたアジアで一番若い国! 16世紀以降ポルトガル領、1974年に主権を放棄するまでの500年弱、第二次世界大戦中は日本も侵略した歴史もあり、1974年以降独立まではインドネシアに併合されながらも30年に及ぶ独立運動を経てようやく自分らの国を建国出来たのです。人口は130万人、平均年齢は16歳(2008年統計)、30歳以下の人口が70%を超えている日本と真逆な人口構造、貧困率は40〜50%でアジアの最貧国と知られています。 思えば僕が生まれた1967年は1945年の終戦後22年経った時、もちろん「戦争を知らない子」です...東ティモールも独立して今年22年後でしたので何か感慨深いです。まだ幼い子達、特に今年生まれた子供は当時の僕の様に『独立運動を知らない子供』なのでしょうね... 首都のディリに到着すると『最貧国』のイメージする姿は、国際空港の規模感くらいで街中を車で巡っている限り全く感じる事はありませんでした。 面白い事に通貨はUSドル。20ドル以上のUSドルは使えるのですが、お釣りは全てcentavoセンタボという東ティモールの通貨(=価値はティモール内ではUSドル/セントと一緒)でお釣りが来るのです。センタボ=セントと思った方が良いですね。 50centavo(センタボ)の裏には『コーヒー豆』のデザインなんですよ〜ここ注目です!! キリスト教徒が97%以上でカトリック、ポルトガルの影響でしょうね〜ブラジルの丘の上に聳えるキリスト像は有名でオリンピックの時に目にした方も多いと思いますが、実は世界で2番目(ブラジルの次)に大きいキリスト像が実はティモールの丘の上に聳えていて絶対近くで見たかった!...実は9月にローマ法王が来る為改修工事の真っ只中...残念でしたが、サンセットタイムにビーチからその勇姿を拝める事が出来ました。
TIMOR LESTE 久しぶりの産地!Promised Land 東ティモール2
“世界を救っている”オリジナルのハイブリットティモール自体の味わいは? NZ時代から数えれば15年以上味わって来ている僕が言うので間違いないです〜 東ティモールのコーヒー栽培技術&知識の向上により飛躍的に向上し続けています!!首都ディリには本格的なカフェ(消費)もポピュラー、農園(生産)も毎年栽培に改良を加え日々努力を続けています。 実は2020年、現地訪問は叶いませんでしたがお世話になっているParcicさんの企画でオンラインツアー(LIVE)で産地を体感させて頂く事が出来ました。 初めて見るアイナロ県マウベシのエルダウトゥバ村のLIVE映像が今でも鮮明に蘇ります。 その際に訪れたジョアンさんとは今回の訪問時に再会(現地では初めてですが、始めましての感覚は僕にはなかったです笑)出来た事は感動でした... やっと叶った〜念願の東ティモールTimor Leste! 東ティモールはインドネシアから2002年に独立を果たしたアジアで一番若い国! 16世紀以降ポルトガル領、1974年に主権を放棄するまでの500年弱、第二次世界大戦中は日本も侵略した歴史もあり、1974年以降独立まではインドネシアに併合されながらも30年に及ぶ独立運動を経てようやく自分らの国を建国出来たのです。人口は130万人、平均年齢は16歳(2008年統計)、30歳以下の人口が70%を超えている日本と真逆な人口構造、貧困率は40〜50%でアジアの最貧国と知られています。 思えば僕が生まれた1967年は1945年の終戦後22年経った時、もちろん「戦争を知らない子」です...東ティモールも独立して今年22年後でしたので何か感慨深いです。まだ幼い子達、特に今年生まれた子供は当時の僕の様に『独立運動を知らない子供』なのでしょうね... 首都のディリに到着すると『最貧国』のイメージする姿は、国際空港の規模感くらいで街中を車で巡っている限り全く感じる事はありませんでした。 面白い事に通貨はUSドル。20ドル以上のUSドルは使えるのですが、お釣りは全てcentavoセンタボという東ティモールの通貨(=価値はティモール内ではUSドル/セントと一緒)でお釣りが来るのです。センタボ=セントと思った方が良いですね。 50centavo(センタボ)の裏には『コーヒー豆』のデザインなんですよ〜ここ注目です!! キリスト教徒が97%以上でカトリック、ポルトガルの影響でしょうね〜ブラジルの丘の上に聳えるキリスト像は有名でオリンピックの時に目にした方も多いと思いますが、実は世界で2番目(ブラジルの次)に大きいキリスト像が実はティモールの丘の上に聳えていて絶対近くで見たかった!...実は9月にローマ法王が来る為改修工事の真っ只中...残念でしたが、サンセットタイムにビーチからその勇姿を拝める事が出来ました。