TIMOR LESTEシリーズ BENTI NENQAシリーズ

Mickey社長のBlog

TIMOR LESTE 久しぶりの産地!Promised Land 東ティモール!5

TIMOR LESTE 久しぶりの産地!Promised Land 東ティモール!5

翌日は車で15分位の隣の山!そこがRITA村落….レボテロと土壌が違う!赤土だ! そして比較的フラットな感じのレボテロに対し、RITAは丘陵地で傾斜面にコーヒーの木が茂っていました。 RITA村落の代表のエンリケさんと一緒にクレメンティーノさんの農園を訪れました。 まだ41歳と若く今やRITA村落のリーダー的存在、FWCFはRITA村落のロットを現在全量使用させて頂いています。その地をようやく訪れた事に感動し、その栽培環境も丘陵地で収穫は過酷であり、木の剪定もレボテロとは違い“クラッシック•ティモールスタイル”で木の高さは3〜4mほどあり、木の上部を引っ張って収穫を行うスタイル。近代的ではないがここの味は一味違う!だから僕はこのロットを使い続けています。 リボテロと違いクレメンティーノさん、エンリケさん、ネルソンさんと我々で黙々と丘陵地の完熟豆を収穫。今年の収穫は1ヶ月遅れ...長雨の影響で訪れた8月初旬は通常は収穫のピーク時なのですが今年は初期段階、まだ完熟しているチェリーは少なく、実の付きも例年より少なめ…そんな2024年の状況に直面してしまいました。 確実に気候変動の影響はコーヒー産地に影響を与えて要ることを実感すると共に過酷な環境での彼らの収穫してくれたコーヒー豆への敬意は深まり本当に良い経験をする事が出来ました。 収穫が終わると中米やエチオピアの近代的な設備での生成とはかけ離れた手動のパルパー(皮剥き)と選別、発酵処理を全て『手作業』で行い東ティモールのコーヒー農園の実情とタフな仕事ぶりを日本の消費者の皆さんに伝えるミッションを授けられている事を実感させられました….この一連の作業を全て手作業、何故なら電気はかろうじて照明程度は通じている状況で水もParcicさんの協力で地下水を汲み上げる事がようやく出来る様になった状況です。この様な環境は今まで訪れた生産地で巡り合う事がありませんでした。 最貧国故の設備状況ですが、彼らは逞しい!! 生産性を求めれば機械化が進み、彼らの労働環境の改善されていく事でしょう〜 でもクレメンティーノさんから聞いた話ですが、コーヒー豆を売る事で『家を建てる事が出来た!』…確かに彼の農園の脇には比較的新しい家(ウマ)があり、彼が農閑期に自分で建てたという何とも言えない嬉しい話! まだ完成してないけど...とはにかみながら話をしてくれました… こうして少しづつではありますが、コーヒー農家の生活の向上は図られて来ています!! アジアの最貧国の現状 東ティモールの国土は東京、千葉、神奈川を足した大きさが国土で人口は約130万人程度の小さな島国で農村の平均年収は日本円で4万円程度...と聞いています。 世界銀行のデータでは一人当たりのGDPは$2,389(2023)と確認しています。 人口の40%が1日の生活を$1以下で生活を余儀なくされていて、45.8%の人々が多次元的貧困に陥っていると言われています。首都のディリでさえ15歳〜34歳の失業率が60%以上...国民の70%が30歳以下の若者!平均年齢18.8歳...独立して22年なので当時犠牲になった人が多いという特殊要因はありますが、日本人には羨ましい話です。 それが原因で技術や経験値が低く産業が育っていない...今後、基幹産業が創出されて行けば強みになるというポジティブな面もあります。 GDPの90%が油田からの収入ですが、それ以外ではコーヒーが80%を占めています! 『コーヒー』こそ、この国の希望なのです!  

TIMOR LESTE 久しぶりの産地!Promised Land 東ティモール!5

翌日は車で15分位の隣の山!そこがRITA村落….レボテロと土壌が違う!赤土だ! そして比較的フラットな感じのレボテロに対し、RITAは丘陵地で傾斜面にコ...

コーヒーチェリー

TIMOR LESTE 久しぶりの産地!Promised Land 東ティモール! 4

いよいよマウベシへ!! 東ティモールを訪れる前に『Canta! Timorカンタ・ティモール』という映画を観ました。 これが素晴らしい〜コーヒーに辿り着く前にやはり歴史や背景を知る事は重要です! 首都のディリから日本のODAで建設された1号線を南下しマウベシを目指しました。 坂を登っていくとディリの街が一望出来る...この道のおかげで山間部との流通に大きく寄与している!日本の援助も実感出来ました。 産地は前回訪れたエチオピアと比べれば舗装路(ボコボコ感はありましたが、エチオピアのハンベラ/Gujiへ向かう道は80%は土...首都アディスから12時間の長時間移動)で快適、3時間弱でマウベシまで到着! 標高は1300m程度、ディリは海沿いで8月の暑さは日本並み、しかしマウベシはかなり違う...やはり夜は冷える。体感では10℃程度だったと思います。 番犬?野犬??とニワトリの鳴き声でマウベシの朝は始まります。 今回、マウベシではレボテロ集落のミゲルさんのお宅にお邪魔して2泊3日寝食を共にして収穫と精製のお手伝いをさせて頂きました。家はウマと呼びますが、椰子の木で作った茅葺き屋根で高床式の方に我々は泊まらせて頂き、ミゲルさん達は家族多分15、6人で一つ屋根の下で住んでいます。大家族で子供が多く、子供なのか?親戚なのか?とにかく常に子供が10人くらいは居て賑やか! 食事はコメ、食用のバナナ、サツマイモ、キャッサバ(タピオカの原料の芋)、葉物野菜が毎日毎食+我々の訪問を歓迎して用意してくれた鶏肉… そしてミゲルさんの栽培しているコーヒー!! 出荷出来ないB級品は自分たちで消費する...毎食本当にコーヒーが美味い! エチオピアで体験した生産国の消費状況と似ている。 中米の生産者はそこまでコーヒーを飲んでいなかった... エチオピアはコーヒー発祥の国!さすがだな〜と感動しましたが、東ティモールも日常的にコーヒーを飲む文化〜料理もしめたニワトリの羽を取る時も焙煎も… 全て1つのデカい中華鍋!薪火で豪快に! 収穫したパーチメント(殻)付きのコーヒー豆を取り出して来て先ずは脱穀、焙煎(少し水を入れた鍋で焼く)、そしてグラインド(脱穀と同じ棒とウス)で意外にも『繊細に網を使用して粒子を合わせる』バリスタ的なスキルを見せつけられた... そして極め付けは手縫いの『ネルドリップ』!美味いわけです〜本当にこの一連の作業を見せてもらって体験させてもらい『一杯のコーヒーにかける想い』に感動させられました。 僕もエアロプレスで抽出して彼らに振る舞いましたが... 〜いつものコーヒーの方が美味い!〜惨敗でした(涙) マウベシの夜はもちろん暗い 産地に行くといつも感動させられるのは『星空』 N Zでは毎晩空を見上げて『南十字星』を見上げていたな〜 そして久しぶりに南十字星にマウベシで出会う事が出来た(涙) カンタ・ティモールで観た様に夜焚き火を焚いてティモール人はクラシックギター弾いて皆んなで歌を歌うのが大好き!!踊りも独特でフォークダンス(稲の籾踏みのようなステップ)の様なテベダイというダンスを皆んなで楽しむ! 産地の夜はこうして更けて行きました… 翌日、いよいよ収穫!レボテロのコーヒー畑を皆んなで『完熟豆』のみの収穫を敢行〜 各自カゴをぶら下げて完熟チェリーの摘み取りに励み、歌を歌ったり、子供達が周りではしゃいでいたり、とにかく楽しい収穫が出来ました。...

TIMOR LESTE 久しぶりの産地!Promised Land 東ティモール! 4

いよいよマウベシへ!! 東ティモールを訪れる前に『Canta! Timorカンタ・ティモール』という映画を観ました。 これが素晴らしい〜コーヒーに辿り着く...

コーヒー豆 東ティモール

TIMOR LESTE 久しぶりの産地!Promised Land 東ティモール3

今回の東ティモールのマウべシを訪れた際に雨季の長雨により『収穫遅れ』を目の当たりにして来ました...店舗でも創業以来初めて欠品を経験しました...。東ティモール好きの常連様には大変ご迷惑をお掛け致しました事お詫び申し上げます。少量ですが第一便(2024ロット/ニュークロップ)が到着して店舗でも全開で販売開始致します〜 気候変動の影響は確実に産地に及んで来ております... 販売再開を機に東ティモールブログを再開!そして語り尽くして行きます〜 『サンタクルズ大虐殺事件』〜これを語らずにはいられない 首都ディリには東ティモールの独立への軌跡上で最も重要な1991年11月12日『サンタクルス大虐殺事件』の惨場であるサンタクルス墓地があります。インドネシア秘密警察に射殺されたセバスチャン・ゴメス氏の死を弔う為に数千人がこの地を訪れ270人以上の方達がインドネシア軍の犠牲になった『サンタクルス大虐殺事件』の犠牲者たちが眠りそして世界を動かしたジャーナリストのマックスさんへの弔いの為にも訪問させて頂きました。 この大虐殺事件をカメラに収め世界中に公表した事で東ティモールの独立は世界から応援され果たす事が出来たました。イギリス人ジャーナリスト:マックス・スタールさんは3年前に他界され、彼が撮ったこの大虐殺の映像で亡くなった若者が正に銃弾に倒れた『その場所』に現在永眠されています...。 その後、首都ディリの街中にある博物館(独立戦争中はインドネシア軍の砲撃を受けて全焼した建物を独立後のシンボルとして再建)を訪れ『独立』への歩みを学びました。 ゲリラ戦時代の隠れ家の再現や初代大統領となった東ティモールゲリラ軍の英雄であり独立運動のフレテリン党首:シャナナ・グスマン氏の名言『TO RESIST IS TO WIN』 *Topの文字は彼の自筆ですよ! この虐殺事件から10年以上経ってようやく独立が叶った... マックス氏の映像が世界に衝撃を与えるまでは世界はアジアの小国の苦境を知る由もなく、日本政府はインドネシアを支援していた事実やアメリカもインドネシアを軍事支援していた事実、そして第二次対戦中、そしてインドネシア統治下でも日本は東ティモールに対して良好な関係ではなかった事を実感させられました...。 独立した今も東ティモールのGNPはティモール海にある(オーストラリアとの間の海域で東ティモールの領域)パユウンダン油ガス田とグレーターサンライズ油ガス田での石油・天然ガスの収入に大きく依存している。ポルトガルの長年の植民地であった東ティモールにはこの油田の魅力があった事に間違いありません... 日本も戦時中は一時攻め入り、その後インドネシアの統治下でもオーストラリアともこの利権争いは激化し、独立後は最終的に東ティモールはオーストラリアとティモール海条約を結び、現在は両者のせめぎ合いも安定化している様です。 東ティモールの将来を考えるとパユウンダン油ガス田の枯渇の懸念は避けられません... 主食であるコメ自体も輸入に頼る現在、コーヒー栽培は年々生産量を増やしていますが、石油・ガス資源に代替えできるほどの成長は見られていないのです。 コメ作に関しても日本のJICAなどが農業支援を行い主食の国産化を進めていますが、なかなかコーヒーと同様石油やガスのレベルには到底追いつけていない状況です。 お世話になったミゲルさんのお家での食事は『米』中心!肉は今回は家畜の鳥を捌いてくれて振る舞って頂きましたが、普段は野菜(自家栽培:レタス系)と芋は必ず(キャッサバとさつまいも)食用バナナ(ほぼイモの味わい)とチリ*辛いのが好きなんですよね〜僕は無理でした(汗)...。 我々に出来る事は『コーヒー』しかありません!  

TIMOR LESTE 久しぶりの産地!Promised Land 東ティモール3

今回の東ティモールのマウべシを訪れた際に雨季の長雨により『収穫遅れ』を目の当たりにして来ました...店舗でも創業以来初めて欠品を経験しました...。東ティ...

TIMOR LESTE 久しぶりの産地!Promised Land 東ティモール2

TIMOR LESTE 久しぶりの産地!Promised Land 東ティモール2

“世界を救っている”オリジナルのハイブリットティモール自体の味わいは? NZ時代から数えれば15年以上味わって来ている僕が言うので間違いないです〜 東ティモールのコーヒー栽培技術&知識の向上により飛躍的に向上し続けています!!首都ディリには本格的なカフェ(消費)もポピュラー、農園(生産)も毎年栽培に改良を加え日々努力を続けています。 実は2020年、現地訪問は叶いませんでしたがお世話になっているParcicさんの企画でオンラインツアー(LIVE)で産地を体感させて頂く事が出来ました。 初めて見るアイナロ県マウベシのエルダウトゥバ村のLIVE映像が今でも鮮明に蘇ります。 その際に訪れたジョアンさんとは今回の訪問時に再会(現地では初めてですが、始めましての感覚は僕にはなかったです笑)出来た事は感動でした...  やっと叶った〜念願の東ティモールTimor Leste!   東ティモールはインドネシアから2002年に独立を果たしたアジアで一番若い国! 16世紀以降ポルトガル領、1974年に主権を放棄するまでの500年弱、第二次世界大戦中は日本も侵略した歴史もあり、1974年以降独立まではインドネシアに併合されながらも30年に及ぶ独立運動を経てようやく自分らの国を建国出来たのです。人口は130万人、平均年齢は16歳(2008年統計)、30歳以下の人口が70%を超えている日本と真逆な人口構造、貧困率は40〜50%でアジアの最貧国と知られています。 思えば僕が生まれた1967年は1945年の終戦後22年経った時、もちろん「戦争を知らない子」です...東ティモールも独立して今年22年後でしたので何か感慨深いです。まだ幼い子達、特に今年生まれた子供は当時の僕の様に『独立運動を知らない子供』なのでしょうね... 首都のディリに到着すると『最貧国』のイメージする姿は、国際空港の規模感くらいで街中を車で巡っている限り全く感じる事はありませんでした。 面白い事に通貨はUSドル。20ドル以上のUSドルは使えるのですが、お釣りは全てcentavoセンタボという東ティモールの通貨(=価値はティモール内ではUSドル/セントと一緒)でお釣りが来るのです。センタボ=セントと思った方が良いですね。 50centavo(センタボ)の裏には『コーヒー豆』のデザインなんですよ〜ここ注目です!! キリスト教徒が97%以上でカトリック、ポルトガルの影響でしょうね〜ブラジルの丘の上に聳えるキリスト像は有名でオリンピックの時に目にした方も多いと思いますが、実は世界で2番目(ブラジルの次)に大きいキリスト像が実はティモールの丘の上に聳えていて絶対近くで見たかった!...実は9月にローマ法王が来る為改修工事の真っ只中...残念でしたが、サンセットタイムにビーチからその勇姿を拝める事が出来ました。 

TIMOR LESTE 久しぶりの産地!Promised Land 東ティモール2

“世界を救っている”オリジナルのハイブリットティモール自体の味わいは? NZ時代から数えれば15年以上味わって来ている僕が言うので間違いないです〜 東ティ...

TIMOR LESTE久しぶりの産地!Promised Land 東ティモール1

TIMOR LESTE久しぶりの産地!Promised Land 東ティモール1

2019年のエチオピアを訪問後、コロナ禍の影響を受けてコーヒー産地を訪れる事が遠のいてしまいました。 2020年は NZ在住時に出会って日本に帰国後FWCFを始めてからずっとSOUL BEANSとして使用している東ティモールの地を訪れる計画を建てていたのです... あれから4年、ようやく東ティモールの地に降り立つ事が出来ました。 世界最貧国...この異名を持ち、今では“世界を救う品種”となっているハイブリットティモールはポルトガル統治下の東ティモールで誕生しました。 “世界を救う?”どういう意味か... 2013年と言えばちょうどFWCFの1号店を仙台市泉区に開業した頃、スペシャルティコーヒー業界を悩ましていた問題が『サビ病』と呼ばれる中米のアラビカ種栽培に猛威を奮っていたサビ菌と呼ばれる細菌がコーヒーの葉に付着する事により錆びた様に歯の裏側にオレンジの1〜2ミリの斑点が付き(約100万個の胞子が存在)、最適な温度/湿度が揃うと急速に加速し、最終的には斑点が黒く大きくなり光合成が出来なくなり、葉が落ち、最終的には根をも脅かし2〜3年で枯れてしまう恐ろしい菌による被害です。 気候変動による影響、耕作放棄地からの浮揚による被害...ロブスタではなく、繊細な味わいを持つアラビカ種はこの菌への耐病性が弱い為、1970年代にブラジルで流行後、中米諸島へ移り世界のコーヒー市場に多大な被害を与えていたのです。 1861年にアフリカのビクトリア湖周辺で発見されたサビ病はアジア/アフリカで栽培されていたアラビカ種に多大な被害を与えて行きました。その結果、今ではコーヒー生産地のイメージのないスリランカでは1860年末にサビ病の被害により全滅した事実があります。 東ティモールで生まれたハイブリットティモール種(以下H・T種)は、ロブスタとアラビカの自異種間交配種として偶然生まれたH・T種は正に奇跡の始まりだったと思えます。先述した様にカネフォラ種(ロブスタ種)はサビ病に強い特性があり、味わいの良いアラビカ種の両方の特性を持った正に最強の品種となりました。 但しアラビカ種の中では味わいは低レベルとされていましたが、時代を経て様々な品種と交配種を繰り広げて現在はその第一弾としてブルボン系のカツーラ(カトゥーラ)種と交配させて成功した『カティモール』、ブラジルではブルボン系のヴィジャサルチ(コスタリカで発見された変異種)との交配種『サルチモール』、エチオピア原種系のルメスーダンとブルボン系K7とブルボン系SL28とカチモールを人工交配させた『ルイル11』...交配第一世代F1種達が更なる交配を重ねて現在の気候変動に影響を受ける世界のコーヒー市場を支えています。

TIMOR LESTE久しぶりの産地!Promised Land 東ティモール1

2019年のエチオピアを訪問後、コロナ禍の影響を受けてコーヒー産地を訪れる事が遠のいてしまいました。 2020年は NZ在住時に出会って日本に帰国後FW...